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06.『再撰花洛名勝図会』巻末広告(翻刻)
『再撰 花洛名勝圖會』
安永、天明の頃、秋里某が著せし『都名所図会』同『拾遺』両篇を合せて、神社、佛閣、堂塔の順次、縁記等を、諸国名所図會の近體に再撰し、『江戸』并『宮嶋図會』に准じて画者の精巧に嘱して當風の図画に書改め、全部二十冊を分ち、『拾遺』共、凡五十巻とす。並本、又は奉書摺絹表紙箱入本をも別製し、高貴諸君の展覧に備へんとす。既に東山之部成本を弘むるの序、毎編の大概を左に畧記す。
仝首編 近刻 洛陽之部
前板に倣ひ、禁中御節會の大畧并古今の和謌を載せ、図は内侍所、節分の日、諸人群参を始めとし、夫より御霊社、上寺町筋の寺院、扨は相国寺、妙覚寺、妙顕寺、本法寺、水火天神、瑞光院、四十七士の義塚碑文に及び、西は舩岡、蓮臺野十二坊、北野天満宮最寄、西陣織屋、聚楽迠に至る。次に、丸太町河原、三本木の酒樓、二條仮橋晒布、臼の体、高瀬川端生洲の料理店、三條大橋行人の有様、瑞泉寺、本能寺、誓願寺以南、和泉式部軒端梅、錦天神の社頭、金蓮寺、祇園御旅所、扨は六角堂、神泉苑、空也堂、因幡薬師、佛光寺に至る。次巻のはじめには、五條橋籬森より御影堂扇折、枳穀屋鋪東殿の園池十三景を載せ、両本願寺、本国寺惣境内、東寺伽藍、大師堂、六孫王社、西新屋敷、傾城廓、壬生寺、大念佛狂言の姿、諸寺院の什物、寶器の摹寫を加へ、祇園會山鉾の列并稲荷神事、行粧を細く記す。
仝二編 出來 東山之部
四條新橋に筆を起し、巻首に東山全景図、頼山陽鴨川記文の真跡を掲げ、縄手通、大和橋、南北両座芝居、祇園町、井筒茶店、一力の坐敷、祇園社并往古の図、近年、夜櫻の壮観を画き、夫より知恩院山門、諸堂舎、恭平亭の茶所、鐘樓の図。続く粟田、南禪寺入口松林、湯豆腐屋、惣門内佛殿、南禅院、後山亀山法皇御陵、駒ヶ滝に至。山門前の大石燈篭は別図を出し、次、永観堂、若王子、新開山中の諸亭舎、光雲寺、岡崎辺二條川東の寺々、聖護院寺、新黒谷、金戒光明寺及真如堂并元真如堂、神楽岡齊場所、吉田社頭、百萬遍、慈照寺の銀閣、鹿ヶ谷、法然院、安楽寺、池の地蔵及び如意峰、七月送り火大文字の來由迠を記す。次巻は松原仮橋、古五條橋旧跡を始、建仁寺山内并六波羅蜜寺、六道の迎鐘、安井金毘羅社頭、下河原、真葛ヶ原に至。圓山六坊の宴席、吉水弁天、長楽寺、東大谷御廟新道より松林の風景、雙林寺、高臺寺、八坂塔、霊山、堂舎坊々、其辺の別荘より三年坂、清水寺、舞臺、音羽瀧の別図、清閑寺迠にて冊を終る。五條坂陶器竃より西大谷御本廟、目鏡橋を始、二十勝詩歌、鳥辺山、親祖廟、妙見祠、小松谷、正林寺、大佛前名物餅屋、方廣寺廃跡、新日吉社、智積院、蓮華王院卅三間堂、今熊野、観音寺、泉涌寺、一二三の橋、東福寺伽藍、通天橋観楓の図、三ヶ峰麓稲荷社、初午詣、高瀬舟并街道群集の人物を画き、覧者の目を悦ばしむる事ども多し。
仝三編 嗣出 北山之部
古へ志賀の山越、旧跡、和歌を扁首とし、白川、瓜生山、将軍地蔵堂より田中村干菜寺、六斎念仏の由来、下鴨社、御手洗川、糺の納涼、水無月能申楽の躰、一乗寺、下り松、詩仙堂、石川丈山翁韵跡はた修學院の離宮、上下の御茶屋、雲母坂より比叡山延暦寺、三塔の概畧、四明ヶ嶽西麓赤山社、御蔭山、高野川、矢背村竃風呂、大原勝林院、来迎院、證拠弥陀、音無の滝、芹生里、寂光院、古知谷、江文社に至る。次巻は上賀茂、二葉山、別雷の峰、社頭、葵祭、競馬、臨時まつり等の図、蟻ヶ池、御菩薩池、松ヶ崎、山端麥飯茶屋、幡枝、市原、北岩倉大雲寺より鞍馬道、鞍馬毘沙門堂、初寅詣より六月竹切の式、貴布祢社以北、丹波境、大悲山峯定寺縁記、信西入道撰の事、夫より岩屋山樓門、本堂々舎、小野郷、桟敷嶽、惟高親王并篁道風等の社及氷室神社、西賀茂薬師山、今宮社、紫野、大徳寺、方丈以下塔頭、茶室、古書画、珎器、鷹峯より北山鹿苑寺、金閣并龍安寺、庭池等、『林泉図會』の遺漏を補ひ、衣笠山、等持院、足利家代々木像、其餘、栂尾、槙尾、高雄山三ヶ所紅葉の壮観、傍、平岡八幡宮、平野社、荒見河の秡齋場所の古事に及ぶ。
仝四編 嗣出 西山之部
紙屋川の西、地蔵院庭名木椿の事より花園妙心寺、雙カ岡、大内山、仁和寺諸伽藍并成就山八十八箇所儀堂、春秋の眺望、福王子社、鳴滝泉谷寺院、卬金堂并百仲和尚廟一本の櫻の事、五智山の石佛、廣澤并大沢池、北嵯峨大覺寺殿、御廟山より愛宕山権現本社、僧坊、坂路、土器投の茶屋。北東は月輪寺、西南は水尾岡清和天皇社并御陵、清滝川、一之鳥居、化野念仏寺、祇王寺、又、上嵯峨釈迦堂、赤栴檀瑞像由縁、小倉山、二尊院、常寂光寺、定家卿山荘古跡、野々宮より下嵯峨亀山、天竜寺伽藍、あらし山、戸無瀬滝、大堰川々上保津迠、渓間、名石等を悉く註し、渡月橋、法輪寺虚空蔵并北岸臨川寺、鹿王院より太秦廣隆寺、木の嶋森、西院、春日社に至。次に巻を更めて梅宮、桂の里、松尾神社、月読社、西芳寺夢想国師作の庭、西山覚如上人御廟、樫木原より老の坂、嶺の地蔵、扨は大原野春日社、花の寺、西岩倉に続き、向日岡向日明神、粟生光明寺、長岡天満宮、同都蹟、三鈷寺、西山上人廟、善峰寺以南、大山崎、宝寺、離宮八幡宮、傍、妙喜庵、観音寺等に及ぶ。此編は御室、嵯峨を始、櫻花、茸狩、鮎釣等、春秋遊観の図并詩謌を采輯なす事、他編に倍せり。
仝五編 嗣出 八幡、宇治之部
鳥羽街道、小枝橋、秋の山、城南離宮跡、竹田安楽寿院より城南神社、戀冢碑、淀大橋、小ばし、城壁、水車、浪華の下り舟、雄徳山八幡宮、山上山下の堂社、放生會、臨時祭の行粧、夫より薪村酬恩菴、一休禅師廟、佐川田喜六碑、稲八間社、祝薗社に至。木津川以東、奈良街道、長池、井出玉水古跡、神童子、北吉野、みかの原郷、水津大路より笠置山行在の跡、名石、是より和州月ヶ瀬、小山等梅花香世界、路次間道の案内を附録に載す。次に宇治橋川上両岸、平等院扇の芝、興聖寺山吹の瀬、蛍茶屋等、水源の鹿飛、米炊に至。また、宇治田原郷、鷲峰山行場、百丈山迠、幽僻の地を漏さず悉く記。偖は三室戸黄檗山萬福寺、唐風の佛殿宇、隠元師廟塔、其近村々、四月茶摘、茶製の図、是より深草伏見九郷、古城山、梅渓、桃山の春色、巨椋江の蓮見、醍醐、小野、勧修寺等、御門跡御構、庭池、北は牛尾山より大津道、追分、四宮河原、山科毘沙門堂、日岡御廟野、粟田山に至る。別而此巻には山科、柏原、深草の諸陵、巨幡、宇治の墓等、國史諸書を引用し、図画を交へて、好事家の考拠を資る事、多かるべし。
仝拾遺 續出 一名、花洛古跡一霄話
平安城鳲基大内裏の殿舎、八省十二門、洛陽條路、河渠池井、諸橋等、前編に漏たるを拾ひ集め、はた洛中外封境の考、或は名所、古跡に付たる物語を輯録す。たとへば五條橋には牛若丸弁慶主従契約の事、西陣は應仁乱山名細川戦争の始末、藪内茶室に付て千利休居士の傳杯、其條下には長文にて畢難き分を一段で別記し、百人一首又は義臣傳一夕話に傚ひ、児女子の慰みに画を交へ、東山之部より本編発兌に引続き之を出さんとす。冊數未定。