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04.『再撰花洛名勝図会』「例言」(翻刻)

例言

此編は洛東山川の壮麗を圖にうつして雲上公子の座遊に呈し、傍ら遠郷の風流韻士、我都を慕ふて未見ざる者の悶を慰めむが為に作れり。故に画を専らにして、其文の如きは概畧を述るのみ。考證詳悉を極むと欲せば、雍州府志、都藝祢布、山州名跡志、山城名跡巡行志、山城名勝志、等、先哲の成書に就て辨ふべし。詩歌俳句の類は曾て余が記憶する所、又友人の寄贈に随ひ餘白を填むるに過ず。覧者其杜撰を咎る事なかれ。
前板都名所圖會、同、拾遺の二書は安永年間秋里湘夕が撰に係る。當初世に行はるヽ事昌んなりと聞く。然れども今を去ことおよそ八十年の久しきを経しまヽ堂塔祠宇あるひは回禄に羅り、又は頽廃に属せるも少なからず。中には造立新成して昔日の観を改むるも間あり。はた近歳諸州の名所図会を見るに美を競ふて開版し、善を盡して續刻す。さるに其本原たる都名所の沿革異同あるのみならず、圖作の粗漏之を他邦に比すれば恥る事多し。余是を慨歎するの餘り、校訂新刻せんことを謀れども、老の頻りに進み筆力の及ばざるを奈何にせむ。よって先東山の部五巻を再撰して微志を述るになむ。
編首に四條橋を置たる故は東山の中央にして河東第一の繁華に接する通衢なればなり。今筆を爰に起して左右に區別を設け、南は稲荷、三ヶ峯、北は鹿ヶ谷如意嶽を限とし、すべて東山の封境とす。是他日次編の撰に便ならんが為なり。
繪圖は其地に画者を拉て真を写といえども、斜直横肆位置を立るの遠近に随ふて違ふ処無きことを得ず。中にも小澤華岳、井上左水等既に下世してその遺稿を存るものは是を繕写して加入す。其餘半山、東居等今画く所おのく印章を註したれば鑒みて誰氏の筆なることを察すべし。
方廣寺大佛殿の圖は、前板竹原春朝齋が画く所に原き、祇園二軒茶屋及び雙林寺、大雅堂の来由等は湘夕が文の儘を採用す。是二士が功を奪ふにあらず。その苦心の湮滅せざらん事を欲してなり。
此書東山名勝を以題号とするものは、近日書肆都名所全編を改刻せんの結構ありと聞く。しかれば其混同を恐れて姑く稱を異にするのみ。幸ひに其擧に當らば此編をもて東山の一隅を補む事を庶幾す。