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08.方広寺大仏鐘楼

Source:『再撰花洛名勝図会』巻四

~大佛鐘楼、東面より望むの圖~

 東山には豊臣秀吉ゆかりの神社仏閣が多数あります。方広寺は、その南部に鎮座します豊国神社とともに広く知られています。天台宗の寺院で、別称は大仏殿、親しみを込めて「大仏さん」とも呼ばれていました。
 当寺は、天正14年(1586)、父母の菩提を弔うため、秀吉が高さ6尺3寸(約19メートル)の廬舎那仏の座像を安置したことに始まります。『太閤記』によりますと、南都東大寺にならって大仏殿の建立を計画しますが、東大寺の大仏の造営には20年の歳月を費やしたのに対して、方広寺の大仏殿は5年で完成させると豪語し、実際にその予告通りに大仏を造営したといいます。
 絵は方広寺の鐘楼を東側から描いたものです。鐘楼の下、左側では背伸びをしながらお札を張り当てている人。「こりゃ、難しいわ」。この他にも、運良く張り当てることができたお札が内外に多く見えます。鐘楼の奥には売店があり、数珠やお札などが売られているのが判ります。
 「よっこらしょ、ここは出入りもひと苦労や」、鐘楼の手前左の羽織を着た二本差しの侍は、敷居を跨ぐのに往生しています。その横で、父親とこれから敷居を跨ごうとしている娘、果たしてうまくいくのでしょうか。右側では傘をさしたお母さん弟、「やめとき、やめとき」。旅の夫婦もこれを見て、顔をほころばせています。
 鐘楼の「国家安康、君臣豊楽」の銘が原因で、豊臣氏は滅亡への道を辿ったという逸話も、絵に描かれた参拝客たちには格好の話の種となっていたのです。

From:『あけぼの』第34巻第3号 (2001年 6月)