20.走井
Source:『東海道名所図会』巻一
京阪京津線大谷駅の南西に、いまでも残るのが「走井」と呼ばれる井戸です。ここは逢坂山の中腹。清少納言は『枕草子』一六八段で、「走り井は逢坂なるがをかしきなり」と、「逢う坂」という場所に「走る井」という名の井戸があることを滑稽がっています。
『東海道名所図会』巻一の挿絵はこの走井にあった茶屋の店先の様子を描いています。絵の左下隅で湧き出ているのが件の走井。「名所図会」の本文には「後の山水ここに走り下つて湧き出る」とあり、故にこの名前が付けられたと推察されます。絵を見ると、なみなみと溢れる井戸の水を柄杓ですくい取り、餅米をあらう女性。これはここの茶屋で出す名物「走井餅」を製する準備をしているのです。店の右側では2人の女性がつきたての餅を丸めているのが見えます。
また、井戸の前の男性2人は琵琶湖で水揚げされたばかりの鯉を井戸の水に浸しています。茶屋の奥には前栽があり、前栽が見える座敷で川魚料理を出したのです。こんにちでも鰻料理を出す「かねよ」という店が走井の北東にあり、往事が偲ばれます。
店の中を覗いてみると、男性が1人、奥座敷へ通されています。また、巡礼姿の女性が2人、腰掛けでしばし休憩。名物の餅を食べて旅の疲れを癒します。店の前を走るのが東海道。3人連れと1人の人足たちは、大津の港に揚がった北国からの積み荷を京都の町へと届ける途中です。ですから、左へ行けば大津、右へ行けば京都三条大橋、ということになります。
From:Yuki NISHINO