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27.嵯峨野、鹿の声

Source:『都名所図会』巻四

 大堰川の北岸、嵯峨野はいにしえより閑静な土地でした。天皇の行幸を初め、多くの風流人たちがこの地を訪れ、秀詠の和歌を数多く残しています。
 絵の右上、賛の和歌は『新古今和歌集』の藤原家隆の作です。

下紅葉かつちる山の夕しぐれ ぬれてやひとり鹿の鳴らん
 紅葉と鹿の声を詠みこんだ、秋ならではの一首です。絵もこの和歌の情景と同じく、三日月に鹿、紅葉が描きこまれています。
 左手前には僧侶が2人、総髪の文人が1人のグループ。秋の夜長の風情を肴に、酒を酌み交わしています。縁にいる文人は用を足したので、手を洗って拭いているところ。「おや、どこからか鹿の声がしてきました」。背を向け煙管をふかして坐す僧、「三日月が見える方角からの声です」。鹿の声が聞こえる辺りを指さしています。
 江戸時代、風雅を楽しむ知識人たちが仲間と連れだって、観月や観楓の会などを催していました。彼らのことを文人といい、俗世の人ばかりでなく、僧門の人もいたのです。天台宗の学僧にして詩人の六如も、このうちの1人です。ことに『都名所図会』の作者である秋里籬島の師、伴蒿蹊と六如とは非常に親しかったといいます。
 なるほど、この絵は籬島の計らいで、師の文人仲間の様子を描かせたものなのです。あるいはそこに籬島も同席していたかも知れません。ちなみに、この絵が描かれた九年後、六如は嵯峨に居宅を移しております。

From:Yuki NISHINO