30.七夕の蹴鞠
Source:『都林泉名勝図会』巻一之乾
~七夕、蹴鞠~
蹴鞠は、ハンドボールくらいの大きさの革製の鞠を、足で高く蹴り上げるスポーツ。地上に落とさないように、蹴り続けるのです。江戸時代、飛鳥井家・難波家が蹴鞠の家でした。7月7日には蹴鞠の興行が各家で行われ、多くの人が見物に訪れたといいます。津村淙庵の『譚海』には以下のように記されています。
七夕には飛鳥井・難波両家に蹴鞠の興行あり、見物の人中庭より門外に至るまで群集する事也。すべて蹴鞠を嗜む人、飛鳥井家の弟子になり、官衣を得る事也。七段まで装束のゆるしありて、最上はむらさきすそごの袴をきる事也。これをみると、蹴鞠をする人はみな、飛鳥井家に師事し、官衣を賜るのだとあります。中国から伝来してより、文武天皇の御代には内裏ないでも専ら行われるようになったこと、名所図会本文に記述されています。つまり、蹴鞠は上層の人々のスポーツであったので、これに通ずる人もまた、上層の人々であったことが知られます。
挿絵は烏帽子を被った男性8人が、蹴鞠をしている様子を描いたものです。左上には賛の和歌。
久方の天津空まで揚まりも あひあふ星やけふはうくらん 閑田子蒿蹊閑田子蒿蹊とは『都林泉名所図会』の作者、秋里籬島の和歌の師匠で伴蒿蹊のこと。七夕の逸話と蹴鞠の様子とをかけて詠じた一首です。
From:Yuki NISHINO