32.祇園祭
Source:『都名所図会』巻二
~祇園會~
今日の祇園祭は、本来は祇園御霊会、または、略して祇園会と呼ばれていました。平安時代の初め、貞観11年(869)に疫病が流行したとき、その退散を祈願して、長さ2丈ほどの矛66本を立てたのが始まりであるといわれております。
明治以前の旧暦では6月7日に山鉾巡行があり、また、14日にも別の山鉾が巡行しました。17日までを前の祭、18日からを後の祭りと申しました。今日では、17日の山鉾巡行、1度だけです。
今日の祭礼で申しますと——。
17日の山鉾巡行とその前日の宵山とが有名ですが、6月30日の夏越祓が済み、7月にはいると、中京区にある山鉾の町では祇園祭の準備に入ります。朔日には切符入といって、午前中に神事を行い、1ヶ月に及ぶ祇園祭が始まるのです。各山鉾町では関係者が町会所などに集まって祭神を祀り、祭の打ち合わせをいたします。
祭礼は、天禄元年(970)には「毎年の儀」となり、毎年執行されるようになりました。長保元年(999)には作り山をつくり、南北朝期になると、ほぼ現在のような形態の山鉾になりました。15世紀中頃には総数五十八基に達しましたが、応仁の乱で中絶し、乱後20年を経た明応5年(1496)に再興されて、町衆の手で祭りが行われるようになりました。
なお、四条寺町南側にある御旅所の旧地は烏丸通り高辻上ル東側、大政所町で、現在でも祇園社の大政所として建物が残っています。
From:Yuki NISHINO