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34.紫野の若菜摘み

Source:『都林泉名勝図会』巻一之乾

~紫野、若菜つみ~

 洛中の北方には七野と呼ばれる野があります。内野・北野・平野・上野・蓮台野・〆野(萩野もしくは御栗栖野をいう場合もあり)、そして紫野があります。平安時代には遊猟地として知られ、桓武天皇も平安遷都の翌年、延暦14年(795)にここを訪れたといいます。
 絵を見ると、場面の右側では女性たちが風呂敷を広げて、若菜を摘んでいる姿が描かれています。真ん中の振り袖が娘、左上でしゃがんでいるのがその母。この一行の主人です。娘の右側で立ち姿の縞物を着ているのが乳母、あとの二人は女中、ということになります。
 かわって、場面左側には子たち。蝶々を追いかけているのは娘の姉弟。池の中では子たちがいかきで魚を捕っています。それを見ているのは丁稚。 子らの中でも、蝶々を追いかけている子と、丁稚とは、場面右側の女性連と一連のグループ。それは、前者の腰につけた巾着と後者の背負っている風呂敷に、同じ、丸に四つ目結いの紋があることからも判ります。
 若菜摘みとは、正月七日に食べる七草粥に入れる七種の野草を摘むこと。『古今和歌集』などにも詠まれた、宮中行事のひとつでもあります。
 そうすると、この絵に描かれた一行は西陣の富裕商人で、雅びな公家の風習を見習って、この一年の無病息災を願っての若菜摘みなのです。これとは対照に、魚捕りの子らは、早春の水の冷たさもどこ吹く風の様子です。

From:『あけぼの』第34巻第2号(2001年 4月)