38.大津八丁、札の辻
Source:『伊勢参宮名所図会』巻一
『伊勢参宮名所図会』は京都からお伊勢さんまでの行程を中心に編まれた「名所図会」本です。
京都の三条大橋から三里(約12キロメートル)、一つ目の宿場町が近江国の大津です。東海道のなかでもこの行程は、大津街道と呼ばれていました。挿絵の右側は京都方面ですから大津街道、左上が草津方面ですから東海道、と区別することができます。札の辻という名前は高「札」のある四つ「辻」であることにちなむもの。絵の左下にあるのが高札場です。ここには幕府の御触書や街道筋の馬方・人足の料金などが書かれていました。東国や北国方面からやってくる人々はここで馬方や人足を雇って入洛したり、大坂方面へと向かったのです。
井原西鶴の『日本永代蔵』「怪我の冬神鳴」は大津の町について以下のように記しています。
この所は北国の舟着、ことさら東海道の繁昌、馬次・かへ駕籠、車を轟かし、人足の働き、蛇の鮓、鬼の角細工、何をしたればとて売れまじき事にあらず。西鶴は大津の繁栄ぶりを知らせるために、どんな商品を売っても買ってくれる人がいるくらいである、と少しオーバーな表現をしています。当時の大津であれば、どんなベンチャー企業でも成功したに違いありません。
客の絶えない札の辻のそこここで人々が喧嘩をしている様子がみえますが、この剛気さこそが近江商人の成功の秘訣といえるのかも知れません。
From:Yuki NISHINO