41.金龍寺の松茸狩り
Source:『摂津名所図会』巻五
邂逅山金龍寺紫雲院は、島上郡成合村の山腹にありました。いまでは、石垣や礎石を残すのみとなっています。同寺は、延暦9年(790)、桓武天皇の御代、阿部朝臣是雄によって創建され、当初は安満寺と称しておりました。その後、衰退していたのを、康保元年(964)に千観が再建し、その折に金龍寺と改称されたのです。しかし、その後は兵火により焼失します。近世になって豊臣秀頼が再建し、『摂津名所図会』が出版された江戸時代後期は多くの参拝客で賑わっていたのでした。殊に、春期の観桜、秋期の松茸狩りのシーズンは、行楽の人々が多く訪れました。
絵は秋の松茸狩りを楽しむ人たちの様子を描いたもの。これはという場所に敷物を敷き、取れたての秋の味覚を味わう。最高の贅沢です。右端のグループは通好みの、傘が開ききらないつぼみ松茸を鍋で料理しています。「おお、けむた」、風下の男、香りをかごうと鍋に近付きすぎたのか、煙をもろにかぶっています。小高い丘に立ち、遠眼鏡をのぞいている男もいます。こちらは食い気よりも色気。「ほれ、あそこの娘さん、好みやわぁ」、女性の品定め。
左のグループは大ぶりの松茸を大量に見つけた模様、みなの顔がほころんでいます。名所図会本には京都、大坂北部などで松茸狩りができたこと、絵に描かれていることから判りますが、当時も松茸は珍しいもの。江戸地域ではあまり見られなかったのです。
From:Yuki NISHINO