14.雅俗の留別・餞別
Source:『再撰花洛名勝図会』巻一
~(蹴上茶店)同、弓屋亭池~
京都の三条大橋東詰めは、東海道の起点にして終点。ここから3里、大津の札の辻までを大津街道といいます。今日の単位に直しますと、およそ12キロメートルということになります。大津街道の此処其処では茶店が多くありました。これらの茶店は旅人の休息用にも使用いたしますが、「終点」の人ならば入洛前に衣服を改めるために立ち寄ります。天子様がおわします土地ですから、このようにするのです。また、「起点」の人ならば、旅立つ前の留別・餞別の席を設けるために使用いたします。
蹴上には多くの茶屋があったといいますが、藤屋・井筒屋・加賀屋・弓屋などは店も庭も美しいことで有名であったこと、図会本文の記述によって知られます。絵はこれらのうちの弓屋の店先を描いたものです。場面手前は井筒屋と藤屋です。
絵の左上部にある解説をみますと、「諸侯御小休みの本陣たり」とあります。京都にやってくる諸侯たちもまた、ここで休みを取りながら衣服を改め入洛したのです。「遠山の金さん」の名で知られる遠山金四郎の父、景晋も蹴上で旅装を着替えたと、公務出張記である『続未曾有記』に記しております。
なるほど、場面の左側にある門は諸侯の使用する出入り口で、門の前では主人を待つ奴が一休みしています。一般の人たちはこちらではなく、左側の床几に腰掛けて一服するのです。雅俗の隔てなく茶店を利用するものの、江戸時代は身分社会ですから、休憩するスタイルは異なっているのです。ですから、右上部にみえる漢詩の作者、頼山陽は、この門から奥座敷へ行った、ということになります。
From:『あけぼの』第34巻第6号(2001年12月)