18.角倉 舟の乗り初め
Source:『諸国図会 年中行事大成』巻一
~正月二日、角倉船乗初之圖~
京都の地形は四方を山々に囲まれた盆地ですから、同じ上方でも水の都と謳われた大阪とは好対照をなしているといえます。この二大都市を結ぶパイプラインの役割を河川が担っていました。陸路に比べて、大量の物資をすばやく輸送することが可能であるのが特徴です。
江戸時代を通じて、京都で水上運搬に最も多く利用されていたのは、京の三長者として知られた角倉了以が開削した高瀬川。了以という人は大胆かつ緻密な人物であったと伝えられています。海外は朱印船貿易、国内では河川土木と、広く手がけたのです。高瀬川は、慶長16年(1611)に焼失した方広寺の大仏再建のため、大量の資材運搬を目的に開削された運河だったのです。二条通を北端に、南は伏見まで造られました。
高瀬という名称は「高瀬舟」という船を用いて物資の運搬にあたっていたことに因むもの。挿絵の左手前に描かれているのが高瀬舟で、船首が普通の小舟よりも高く、船体の幅が広くなっているのが特徴です。
高瀬川の二条、一の舟入付近では、正月二日に高瀬舟の乗り初めが行われていたこと、『諸国図会年中行事大成』に挿絵とともに記載されています。正月の行事ということもあって、参賀に向かう裃姿の侍や、挨拶回りに向かう羽織袴の商家の人々の姿が描きこまれています。船上からご祝儀がまかれ、川岸の見物客らが我先にと拾う様子も見えます。
From:Yuki NISHINO