25.神楽岡、吉田社
Source:『都名所図会』巻三
神楽岡の吉田神社は建御賀豆智命(たけみかづちのみこと)、伊波比主命(いわいぬしのみこと)、天之子八根命(あめのこやねのみこと)、比売神(ひめがみ)をお祀りしています。貞観年中(859~77)に日本料理の始祖として知られる藤原山蔭が春日神社を勧請したことにはじまり、その後、天皇もたびたび行幸なさっておられます。
永延元年(987)に祭儀を大原野神社に准じて行うようになり、また、卜部家が祠官となります。後に兼熙(かねひろ)の時に吉田姓を名乗るようになりました。絵の上部の賛にはこの兼熙の『新続古今和歌集』に収められた和歌が載ります。
万代を早四かへりの霜をへて たえぬ吉田の神祭りかな吉田家は唯一神道「吉田神道」をたて、この社の境内に根本斎場を定めます。『都名所図会』の本文に「吉田宮斎場所」とあるのもこのためです。このことにより中世・近世期の吉田社は、諸国にある神社の本山的存在として広く知られるようになります。
絵は南西の方角からみた境内の様子。これをみると、左側の中心に八角形の本殿「大元宮」が、その後方には内宮・外宮がそれぞれ描かれています。本殿前にはひざまずき参拝する人の姿が、また、周りにも多くの信仰に篤い人々の姿を見ることができます。
この社のある神楽岡という地名は、神代のころ、天照大神が天の岩戸に入った折に、八百万の神々が岩戸の前で神楽を奏したことにちなみ名付けられたと、「名所図会」の本文には記されています。
From:Yuki NISHINO