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36.糺森の納涼

Source:『都林泉名勝図会』巻之二

 『都林泉名勝図会』巻之二には、「河合納涼」と題した、下鴨神社の社頭にある糺森の御手洗川で、納涼を楽しむ人々の姿を描いた風俗図が収載されている。江戸時代の京都では、夏期の納涼が2カ所で催されていた。6月7日から18日までの会場は四条河原で、続く6月19日から30日までの会場が糺森であった。
 四条河原の納涼については、『日次紀事』に以下の如く記されている。

初七日 [神事] 祇園會 (中略)凡ソ今夜自リ十八日ノ夜ニ至テ四條河原水陸寸地ヲ漏サズ床ヲ並ヘ席ヲ設ケ良賤般樂ス。東西ノ茶店挑燈ヲ張リ行燈ヲ設ケ恰モ白畫ノ如シ。是ヲ凉ミト謂フ。其ノ中十三日ノ夜ニ至テ殊ニ甚シ。是レ夜宮ニ因テ也。
 これによると、四条河原の納涼は祇園会開催中の一イベントであったことが知られる。茶店が鴨川の東西両岸に出て床や席を設け、そこで人々は納涼を楽しんでいたのである。この様子は『都名所図会』巻二および『都林泉名勝図会』巻之一乾の挿絵によって窺い知ることができる。ここの納涼は7日から18日まで催されるわけであるが、これは丁度、祇園会の前の祭りの期間に相当する。祇園会という神事と遊楽である納涼とが、暑気払いのイベントとして行われていたのである。
 糺森の納涼については、同じく『日次紀事』に次の如く記されている。
十九日 [神事] 下鴨社 此ノ月下鴨ノ社司河合社ノ前住吉社ノ東河邊ニ於テ六月祓ヲ修ス。今日自リ諸人参詣納涼ノ之遊ヲ爲ス。林間假ニ茶店ヲ設ケ酒食及ヒ和多加ノ鮓等ヲ賣ル。鯉ノ刺身鰻ノ樺焼真桑ノ瓜桃林檎太凝菜或ハ竹ノ串ヲ以テ小キ團子數筒ヲ貫キ焼テ之ヲ賣ル。是ヲ御手洗團子ト称ス。社司此ノ團子ヲ臺ニ盛リ高貴ノ家ニ獻ス。参詣ノ人亦求ム。或ハ蒲鉾金燈籠草之ヲ買テ兒女ヲ賺ス。
 これによると、下鴨社の社司、河合社前の住吉社の川辺で、6月の祓いが行われる。ここにいう祓いは、夏越の祓のことである。この時期、多くの参詣者が訪れるのにあわせて納涼が催される。糺森には、酒食や寿司を商う茶店が並び、この他にも鯉の刺身や鰻の蒲焼き、真桑瓜、桃、林檎、心太、そして名物である御手洗団子を食すことができる。社司は御手洗団子を盛り、高貴な家に献上する。参詣者もまた、御手洗団子を購い、この他にも蒲鉾やほおずきなどを子らの土産にするのである。
 夏越の祓は1月から6月までの半年間に溜まった厄気を祓い、残りの半年の無病息災を願うもので、6月の晦日に執行される神事である。祇園会の前の祭りを終えると、入れ替わりに、翌日19日から晦日まで、夏越の祓に併せて納涼が催されるのである。ここでも四条河原の納涼と同様に、夏越の祓という神事と遊楽である納涼とが人々の暑気払いになっていたのである。
 糺森の納涼についての『都林泉名勝図会』の本文は以下の通りである。
糺納涼 はみな月一九日より晦日に至るまで下鴨社頭御手洗川のほとり神の杜の木陰に茶店を設て遊宴して炎暑を避るなり。雲井於社の清水には甘瓜心太を冷し御手洗團子は竹串に刺て賣る。上賀茂には申楽ありて林間に笛鼓の音さへていと涼し。夏の火と秋の金は火剋金にて相生せず。故に厄氣を和儺の神事なり。これを夏越の祓といふ。下鴨を御祖神社上賀茂を別雷神社といふ。
 ここでは、夏越の祓を陰陽五行の木・火・土・金・水の相関関係を引用して説明している。このような記述は『日次紀事』にはみることはできない。また、下鴨社と上賀茂社の正式名称なども、『日次紀事』にはみることはできない記述である。これとは逆に、酒食や土産などに関する記述は『日次紀事』よりも簡略な内容となっている。これは恐らく、『都林泉名勝図会』の本文の記述に相当する挿絵が収載されているためであると考えることができる。具体的な羅列が無くとも、代表的な食物のみを文字情報として記し、あとは挿絵を通して場所のイメージを視覚的情報として読者に提供していたのである。
 挿絵を見ると、御手洗川にそって茶店が床を設け、川に面した店では川中に床几を出しているのがわかる。もともとは参道にある店が、納涼の期間に川沿いの床を使用しているのである。一番左が「とりや」、次が「とり?」と、鳥料理を供する店が多く見える。また、川中で魚を掬っている使用人の姿や、捕った魚を入れているのであろう魚籠や掬い網なども見えることから、川魚ももちろん供されていたことが判る。いわゆる、生洲料理である。ここでの酒宴は、下鴨社の社頭ということもあって、鳴り物は原則として禁止のようである。川のせせらぎを肴に、ゆったりと暑気払いをするといった、通好みの納涼の場所なのである。客引きをしている仲居の物腰も、やはり、どことはなく落ち着いていて穏やかである。裃に二本差しの武士の姿も見え、ここが上京の人々にとっての納涼であったことが、挿絵から窺うことができる。これに対し、四条河原は下・中京の納涼なのである。
 右端の鳥居が下鴨社である。烏帽子を被っているのが神官で、神官とすれ違っているのは巡礼者である。
 左上部に掲げられている和歌と発句は、以下のとおりである。
『新古今』
鴨社の歌合とて人々よみ侍りけるに月を
石川やせみのを川の清けれは 月もなかれをたつねてそすむ   鴨長明
こころまて凉しくなりぬ御祓川   籬嶌
 鴨長明の和歌は下鴨社で行われた源光行勧進の歌合のもので、『新古今和歌集』におさめられている。長明の『無名抄』によると、「石川や瀬見の小河」とは鴨川の別名であると記されている。
 もう一つは、『都林泉名勝図会』の著者である秋里籬島の発句である。籬島は伴蒿蹊に和文を学び、また、「名所図会」本なかでは自作の狂歌・狂詩や発句を披露している。この発句もその中のひとつで、挿絵の内容にあわせた作品が多い。
 発句にある「凉しく」とは、単に川風に当たっているだけでなく、川沿いの納涼床を想起させる効果がある。また、その川自体が御祓に使われる清流であるので、肉体だけでなく精神的にも涼感を得ることができるということを詠んでいる。この発句によって、挿絵に描かれた納涼のイメージを、より一層、深めることに成功しているといえるのである。

From:『あけぼの』第34巻第4号